昭和44年12月27日 夜のご理解
生きた神を信心せよ。天も地も昔から死んだ事なしと。生きた神を信心せよと仰せられる。成る程、天も地も昔から死んだ事なし。天地は生きてござるから、万物全てのものが生彩を生むことが出来るのであり、生き生きとまあ、生存できるわけです。天地が生きてござるからです。もし天地が枯れなさったら、いわば、体温ですとか、地熱というものがなかったら、もうすべてのもの枯れ果ててしまう事だろうと思いますよね。そういう意味合いでやはり天地は生きているなあと。
生きた神を信心せよと仰せられるのですから、生きた神を信心するところから生きた神を信じるところから生きた働きが生まれてくるというのが、金光様のご信心。そして、おかげということになんですね。ですから、私共がここに、いかに生きておらなければならないかという事が分かるし、同時にまた、お取次ぎの道といわれるそのお取次ぎの働きというものがいかに生きておらなければならないかという事が分かります。
それで生き生きとしたお取次ぎの働き、生き生きとした信者氏子の生きた心での願い。例えば、枯れ果てておるという時にはね、心が暗くなったりイライラしたりする時にはいわば枯れておるときと同じ事。それはまあある意味生きておるから腹が立つのだけれどもです、神様に通う心というのはやはり生きた心であり、しかもそれが、生きた一心の姿が喜びであったり、真心であったりというところに天地を動かすほどしのおかげになってくるのですよね。
ですから、御道で例えば御祭りなんかを仕えます、なるほどその、御祭りを仕えるそれは、形式ですけれども、必ずその形式にはそういう生きた働きが伴うておらなければ金光様のご信心の、その、形式祭というかね、御祭りといったようなものが意味がなくなってくるのです。生きた物の働きがないとするならば。ね。例えば雨が今に降りそうにあっても、御祭りが始まる時にはお湿りが止むとか、または、お天候の上でも本当に生きた働きを頂いておる印にそういう体験を皆さんがよく知っておられるとおりだと思うのです。
今日もね、あの、小野先生のところで小野病院です。今度病院が新築されます。住まいと両方。それで今日地鎮祭があの言うてございましたから、今日若先生と末永さんと地鎮祭に参りましたんですが、丁度、あちらの先生がお迎えに見えた時にまだ若先生が間に合いませんでもんですから、まあ、準備があるから、末永さん先に行ってと言ってましたけれども、その、なんならもう一緒に待っとってもらってから、あの、連れてって欲しいと。小野先生はまあ、あんな調子ですから、もうイライラしておられたようですけれども、まあ若先生があの、用意済むまで待っておられました。けれども、私今聞かせて頂いたのですけれども、もう、小野先生がこの、神様にお願いをして、お願いをその頼んだ業者ではあるけれども、その、業者がどういうような業者であるか本当に知っていなかったですから、非常に不安だったわけですよね。
昨日も、その、地鎮祭という運びにまでなったのですから、そういうような状態化にあったところが、今日その若先生を待っておる間に、昨日、久富さんところの土居の共励会でしたから、正樹さんところでした。その、御礼にいっちょ夫婦で、今朝から出てきております。
それで丁度、小野先生がそこにまっておるところでやってきた。そして、同じ建設会社ですから福岡の何々業者というのを知ってあるですかち。知っておるどころではありませんよ。この人ならば間違いありません。この人ならば、こげな立派な業者ですと正樹さんが言ってくれたですから、太鼓判をその、押されたように安心したわけですね。さあそれが、その喜びとなり、地鎮祭となり地鎮祭そのものが喜びいっぱいの地鎮祭になったと。そういう時にね、なるほど生きた神様じゃなあと思いますよ。お互いね。いわゆる生きた天地を対象にした信心だと思いますよ。まあ、今、そういうようなものを聞かせて頂きますと、もう、それこそ、時間励行で業者も全部集まって、もう、お母さんのだいたい親子でありながら、側にしたおりながら、行ったり来たりもしよらんぐらいだったのですけれども、お母さんがあの、後から御直会の時に、ここにこんなにゆっくりと息子達と嫁達と話しをしたことはもう何年ぶりだろうかというて喜ぶばれたと。いうその、御祭りの後にそういう雰囲気まで生まれてきておるわけですよね。まあ、なんというても生きた神様だなということはそういうことになるから感じます。
同時にその生きた天地を信心しておるのですから、その生きた天地が私共の生きた真心生きた心を持って動かす程しの天地を動かす程しの迫力を持って、おかげを表していこうというのが、金光様のご信心ですね。ところが何とはなしに最近はその生きた神を信心せよと。天も地も昔から死んだ事なしと。例えばお話にはお説教にはしておるけれども、そこに生きた働きが無いような、例えばお広前やら信者さんやらが沢山最近出来てきたということはね、なんとはなしに、形式化してきた心境というような事を言われますが、そういうこともなきにしもあらずです。ね。
その点、私は合楽の場合はそういう生き生きしたものを見たり聞いたりさせて頂きながら、信心の稽古が出来るということは私は有り難いと思いますね。
どうぞ
松本正宏